KADOBAYASHI Takeshi ここは門林岳史の仕事を紹介するホームページです。[English paper here] what's new ・神戸大学芸術学研究室発行の『美学芸術学論集』に論文「美はどこへ行ったのか——神経美学の批判的系譜学」を執筆しました。本論文は近日中に神戸大学学術成果リポジトリよりダウンロードできるようになるはずです・表象文化論学会ニューズレター『REPRE』15号に松尾恵・佐藤守弘へのインタビュー記事(林田新と共同)「森村泰昌とダムタイプの80年代京都文化」を収録しました。 ・北村紗衣編の電子書籍『共感覚の地平——共感覚は共有できるか?』に論考「ヘレン・ケラーになるために——荒川修作と共感覚」を執筆しました。 単著 ・『ホワッチャドゥーイン、マーシャル・マクルーハン?——感性論的メディア論』NTT出版、2009年9月(amazon.co.jp・bk1)研究論文 ・new「美はどこへ行ったのか——神経美学の批判的系譜学」『美学芸術学論集』8 (特集:脳/美学 脳科学への感性学的アプローチ)(2012年3月): 52-61・「イメージの二つの起源——認知考古学から出発して」『SITE ZERO/ZERO SITE』3 (特集:ヴァナキュラー・イメージの人類学)(2010年6月): 186-205 ・「生体解剖的美と探偵的知——マクルーハンの初期論文を読む」『SITE ZERO/ZERO SITE』0 (特集:エステティクスの臨界)(2006年8月): 68-95 (要旨) ・「探偵、バイオメトリクス、広告——『マイノリティ・レポート』に見る都市の時間と空間」『10+1』40(特集:神経系都市論——身体・都市・クライシス)(2005年9月): 108-117 (要旨) ・「メディアの幼年期——マクルーハンのテレビ論を読む」『映像学』74(2005年5月): 91-111 (要旨) ・"Tactility, This Superfluous Thing: Reading McLuhan Through the Trope of Sense"UTCP Bulletin 4 (May 2005): 26-35 (summary・all) ・「触覚、この余計なもの——マクルーハンにおける感覚の修辞学」『UTCP研究論集』2(特集:身体の思考・感覚の論理)(2005年3月): 45-56 (要旨) ・「クールの変容——マクルーハンの方法とその時代」『超域文化科学紀要』9 (2004年9月): 87-101 (要旨) ・「芸術家になること——マクルーハン『メディアの理解』第一部精読」『UTCP研究論集』1 (2004年3月): 23-38 (要旨) ・「ジョイスを読むマクルーハン」『表象文化論研究』3(特集:エステティクス再考)(2004年2月): 58-75 (要旨) ・「名の流通——〈フェヒナー〉について」『表象文化論研究』1(特集:身体のロマン主義とリアリズム)(2003年3月): 98-127 (要旨・PDF (952KB)) ・「G. Th. フェヒナーの精神物理学——哲学と心理学の間、精神と物質の間」『現代思想』28-5(特集:心理学への招待)(2000年4月): 42-66 (要旨) 翻訳 ・マーシャル・マクルーハン「風景詩における美学的瞬間」『KAWADE道の手帖 マクルーハン』(2011年2月): 50-59・マーシャル・マクルーハン「反環境としての芸術」『KAWADE道の手帖 マクルーハン』(2011年2月): 116-19 ・レオ・シュピッツァー「アメリカの広告を大衆芸術として説明する」『SITE ZERO/ZERO SITE』1(2007年9月): 322-364 ・サミュエル・ウェーバー「人文学の未来——実験すること」(宮崎裕助との共訳)『表象』1(2007年4月): 87-104 発表/講演 ・new「神経美学の批判的系譜学」第六回神戸大学芸術学研究会「脳/美学——脳科学のイメージ(論)」(神戸大学,2011年11月19日)・「怪獣を飼い慣らす——『ゴジラ』連作におけるシリーズ化と擬人法」(東京大学,2011年9月16日) ・第9回新潟哲学思想セミナー「メディアの消滅——マクルーハンからポストメディアへ」(新潟大学,2011年6月24日)(報告) ・ "Always: San-chome no Yuhi and the Nostalgia toward the Image of Future City" The 35th Society for Social Studies of Science Annual Meeting (The University of Tokyo, 25-29 August 2010) ・ "Two Origins of Image: Cognitive Archeology and Neuroesthetics" The 18th International Congress of Aesthetics (Peking University, 9-13 August 2010) ・連続公開ディスカッション「SPECULA」第4回「メディア論の困難」(桂英史と、東京藝術大学,2010年7月24日) ・『SITE ZERO/ZERO SITE』No.3 トークイベント(田中純、港千尋と、ジュンク堂書店新宿店、2010年7月3日) ・『SITE ZERO/ZERO SITE』No.3 トークイベント(岩城覚久、佐藤守弘、前川修と、MEDIA SHOP、2010年6月27日) ・「シュウゾウ・アヅチ・ガリバー EX-SIGN展」シンポジウム「都市の横断——記号の彼方へ」(シュウゾウ・アヅチ・ガリバー、小林康夫、平倉圭と、滋賀県立美術館、2010年3月21日) (平倉圭氏による報告) ・トークイベント「マクルーハンの現在形」(青山ブックセンター六本木店,2009年11月13日) ・「「メタ心理学の魔女」再考——フロイトにおける科学主義と神秘主義」シンポジウム「神秘主義的世界像と自然科学——もうひとつのモデルネ」2009年日本独文学会秋期研究発表会(名古屋市立大学,2009年10月17日) ・「ポストメディアの系譜——「インターメディア」と「エキスパンデッド・シネマ」を中心に」パネル「メディア論と美学」第60回美学会全国大会(東京大学,2009年10月10日) ・「マクルーハンとヴィデオ・アートの接点を考える——その理論的・歴史的条件」展覧会「ヴィデオを待ちながら——映像、60年代から今日へ」連続講演会(東京国立近代美術館,2009年4月25日) ・「形式主義と批評言語の心理学化」フォーラム「イメージ(論)の臨界[4]:感性の翻訳と共有」(京都大学,2009年3月7日) ・「フロイトのメタ心理学の身体論的読解——「快感原則の彼岸」を中心に」 第二回フロイト思想研究会大会(京都大学,2008年9月27, 28日) ・「日本のロボットアニメにおけるポストヒューマン的形象をめぐって」 露光研究発表会 (沖縄県立芸術大学,2008年9月2-4日) ・ "Ubiquitous Notions of Media" Ubiquitous Media: Asian Transformations (The University of Tokyo, 13-16 July 2007) ・"McLuhan among Structuralists: Reevaluating Tetrad through Structuralists' Use of Group Theory" Re-reading McLuhan: An International Conference on Media and Culture in the 21st Century (Schloss Thurnau, 14-17 February 2007) ・「四角形の冒険——拡張された場、グレマスからマクルーハンまで」表象文化論学会2006年度研究発表大会(東京外国語大学,2006年11月19日) ・「アメリカのデューライン——マクルーハンとカナダ」日本カナダ学会 (神戸国際大学,2005年9月) ・「触覚、この余計なもの——マクルーハンにおける感覚の修辞学」UTCPワークショップ「身体の思考・感覚の論理」(東京大学,2004年12月) ・"Tactility, This Superfluous Thing: Reading McLuhan Through the Trope of Sense" Vancouver Workshop 2004: Technology, Culture, and Cognition (Simon Fraser University, September 2004) ・「広告のモダニズム——マクルーハンの広告論を読む」情報文化学会 (早稲田大学,2004年9月) ・「マクルーハンとテレビ文化」日本映像学会 (東京工芸大学,2004年6月) ・「クールの変容——マクルーハンの方法と戦後アメリカ」アメリカ文学会東京支部会演劇分科会 (慶応大学,2003年11月) ・「ジョイスを読むマクルーハン」「シンポジウムエステティクス再考」 (東京大学,2003年11月) ・「メディアの発見——マクルーハンの方法」UTCP若手研究者研究発表会 (東京大学,2003年9月) ・「G. Th. フェヒナーの精神物理学」知覚研究会 (日本大学, 2000年11月) その他 ・newインタビュー記事 松尾恵×佐藤守弘「森村泰昌とダムタイプの80年代京都文化」(林田新との共同インタビュー)『REPRE』15(2012年5月)(全文)・new「ヘレン・ケラーになるために——荒川修作と共感覚」北村紗衣編『共感覚の地平——共感覚は共有できるか?』(電子書肆 さえ房、2012年4月):48-54(全文) ・「カタストロフに寄り添う映像——震災ドキュメンタリーをめぐって」『10+1 web site』(2012年3月)(全文) ・「知の時代から情報の時代へ」(ダニエル・R・ヘッドリク『情報時代の到来——「理性と革命の時代」における知識のテクノロジー』書評)『図書新聞』3050(2012年2月18日):4 ・「カタストロフの映像は今?」『第四回恵比寿映像祭 映像のフィジカル』カタログ(東京都写真美術館、2012年2月): 38-45(全文) ・「家族という身体——『鬼面・刺繍』澤井繁男著」『書評』136(関大生協『書評』編集委員会、2011年10月): 201-05(全文) ・「書物の時間、人文知の震動——ハインリヒ・フォン・クライスト「チリの地震」」『現代思想』39-9(総特集 震災以後を生きるための50冊)(2011年6月): 120-23 ・インタビュー記事 植松由佳「ヴェネチア・ビエンナーレ日本館 束芋展「超ガラパゴス・シンドローム」をめぐって」『REPRE』12(2011年5月)(全文) ・「「写真」への/という欲望——ジェフリー・バッチェン「時の宙づり——生と死のあわいで」展と『写真のアルケオロジー』をめぐって」『REAR』25(2011年2月): 75-78 ・インタビュー「100年目の入門 マーシャル・マクルーハンの思想」『KAWADE道の手帖 マクルーハン』(2011年2月): 2-22 ・著作解題 マーシャル・マクルーハン『内的風景——マーシャル・マクルーハンの文学批評 一九四三〜一九六二年』『KAWADE道の手帖 マクルーハン』(2011年2月): 26-29 ・著作解題 マーシャル・マクルーハン+エリック・マクルーハン『メディアの法則』『KAWADE道の手帖 マクルーハン』(2011年2月): 46-49 ・「地球村の戦争 ・「新装版解説」マーシャル・マクルーハン+クエンティン・フィオーレ『メディアはマッサージである』南博訳、河出書房新社、2010年: 178-81 ・「それはなぜいまでも電子書籍と呼ばれているのか?」『ユリイカ』42-9(特集:電子書籍を読む!)(2010年8月): 188-94 ・特集企画 ヴァナキュラー・イメージの人類学『SITE ZERO/ZERO SITE』3 (2010年6月): 6-284 ・インタビュー記事 ジェフリー・バッチェン「「ヴァナキュラー・イメージの人類学」をめぐる問い」『SITE ZERO/ZERO SITE』3 (特集:ヴァナキュラー・イメージの人類学)(2010年6月): 10-17 ・座談会「「ヴァナキュラー」という複数性の回路——「イメージ-身体-メディア」スキームを超えて」(岡田温司、前川修と)『SITE ZERO/ZERO SITE』3 (特集:ヴァナキュラー・イメージの人類学)(2010年6月): 18-49 ・インタビュー記事 中沢新一「イメージの起源、再帰するヴァナキュラーの力」『SITE ZERO/ZERO SITE』3 (特集:ヴァナキュラー・イメージの人類学)(2010年6月): 162-85 ・「エッセイの思想、書物のアウラ」(港千尋『書物の変——グーグルベルグの時代』書評)『図書新聞』2967(2010年5月29日):5 ・展覧会評「共鳴する空間、亡霊的な音——「レゾナンス 共鳴 人と響き合うアート」展」『美術手帳』937(2010年6月):168-69 ・展覧会評「記号の身体——シュウゾウ・アヅチ・ガリバー「EX-SIGN」展」『美術手帳』936(2010年5月):176-77 ・「この映像の「作者」は誰か?」「リフレクション/映像が見せる“もうひとつの世界”」展カタログ(水戸芸術館現代美術センター、2010年3月):69-73 ・座談会「エモーション——イメージ・神経・発酵」(新藤淳、保坂健二郎と)『REVIEW HOUSE』3(2009年12月):78-103 ・「イタリア文化史のなかのフロイト——岡田温司『フロイトのイタリア』書評」『表象』3(特集:ポストヒューマン)(2009年3月):257-64 ・「サイボーグ的笑顔の行方——クァク・ジェヨン『僕の彼女はサイボーグ』」ウェブサイト『Flowerwild』(2008年8月)(全文) ・シンポジウム「「うまくいく」ことの倫理と技術」報告『REPRE』6(2008年7月)(全文) ・インタビュー記事 カトリーヌ・マラブー「可塑性のポストヒューマンな未来——再生医療から死の欲動まで」(西山達也と共同)『表象』2(特集:ポストヒューマン)(2008年3月):12-29 ・「ポストヒューマンを考えるためのブックガイド」項目「メディア」『表象』2(特集:ポストヒューマン)(2008年3月):128-29 ・『表象』刊行記念座談会「新しいアソシエーションの形をもとめて」『REPRE』3(2007年6月)(全文) ・国際イベント報告「マクルーハン再読——21世紀のメディアと文化についての国際会議」『REPRE』3(2007年6月)(全文) ・和田伸一郎『メディアの倫理——画面は慈悲なき世界を救済できるか』書評『映像学』78(2007年5月): 95-101 ・「美術館参拝、ミュンヘン」ウェブサイト『SITE ZERO/ZERO SITE』 (2007年3月)(全文) ・「「でもぼくのせいじゃない」——細野晴臣『東京シャイネス』(DVD)」ウェブサイト『SITE ZERO/ZERO SITE』 (2006年11月)(全文) ・ブックナビゲーション「視覚文化論の向こう側」ウェブサイト『artscape』 (2006年8月)(全文) ・映画『ラストデイズ』(ガス・ヴァン・サント監督、2005)レビュー ウェブサイト 『SITE ZERO/ZERO SITE』(2006年7月)(全文) ・「マクルーハン研究の新しい射程」『日本カナダ学会 ニューズレター』72 (2005年7月): 5-6(全文) ・「序」『UTCP研究論集2 身体の思考・感覚の論理』(2005年3月): 4-6(PDF (228KB)) ・宮澤淳一『グレン・グールド論』書評『日本経済新聞』(2005年2月20日): 24(全文) ・「禅とオートバイ修理技術のあいだのプラグマティズム——スティーヴ・オーディン セミナー参加記」『CPAS Newsletter』5-1 (2004年9月): 5 門林 岳史(かどばやし たけし) 19世紀から20世紀にかけての学的言説の認識論的な変容を科学技術や文化との関わりから分析することを主な研究のフィールド及び方法としている。その成果として、修士論文「G. Th. フェヒナー論——心理学の起源の名」では19世紀ドイツの哲学者=科学者であり、実験心理学の祖と目されるグスタフ・テオドール・フェヒナーを対象とし、心理学という新しい言説の創設をめぐる言説の緊張関係を分析した。また、博士論文「メディアの発見——マーシャル・マクルーハンの方法」では、カナダのメディア論者マーシャル・マクルーハンの研究に取り組んだ。とりわけ重点を置いたのは、もともとは英文学者であるマクルーハンが強い影響を受けたモダニズムの文学との関係、及び、50年代から60年代にかけてのアメリカ社会との関係の二点であり、そうした文化的、社会的コンテクストのなかで、「メディア」という概念そのものが変容を被る過程を跡づけることを主たるテーマとした。以上のパースペクティヴを引き継ぎながら、現在ジークムント・フロイト研究と19世紀西洋の表象文化史研究を準備中。東京大学大学院 総合文化研究科 超域文化科学専攻 表象文化論コース 博士課程修了 2001-2002年トロント大学 文化と技術のマクルーハン・プログラム ジュニア・フェロー 2004-2005年 東京大学大学院 総合文化研究科 21世紀COE 共生のための国際哲学交流センター (UTCP) 研究拠点形成特任研究員 2005-2006年 東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ(EALAI) 特任助手 2006-2009年 日本学術振興会 特別研究員 2009-2010年 関西大学文学部総合人文学科映像文化専修 助教 2010年- 関西大学文学部総合人文学科映像文化専修 准教授 links 関西大学文学部総合人文学科映像文化専修関西大学映像文化学会 eizoubunka blog 表象文化論学会 日本映像学会 美学会 東京大学 表象文化論研究室 The McLuhan Program In Culture and Technology 東京大学 21世紀COE「共生のための国際哲学交流センター」(UTCP) 東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ(EALAI) お問い合わせはkanbaya@mac.comまで Copyright 2005-2012 Takeshi Kadobayashi All rights reserved. |